C101後編(家に帰るまで)
承前。
会場を抜けて、りんかい線は天王洲アイルにて、東京モノレールへ。同じ名前の駅なのに一旦駅を出て道路を行くというなんちゃって乗り換え駅でした。東京モノレールなんて、ずいぶん前に鉄道むすめのスタンプラリーで乗ったきりでしたが、なんか面白い構造の列車でしたね。空港客を乗せることに特化していて、荷物専用置場とかあるし、座席に高低差があって、SRPGのフィールドみたいな造りでした。
ANAだったのですが、ちゃんと調べてなくて、無駄に第1ターミナルで降りてしまうなどのハプニングもありましたが、背負っていた荷物(8kgもありました)も預けて身軽に!
飛行機の中で読もうと思っていた文庫本は荷物にしまったまま預けてしまったのですが、幸いにも空港wifiが飛んでいたので、PrimeVideoを見ながらまったり過ごします。大みそかの広島行き最終便という、誰も乗らんやろみたいな時間帯でしたが、当日になってみればどうも満席との由。とはいえ家族連ればかりで、窓際2人席の窓側を確保していた筆者のとなりは空席でしたとさ。
羽田混雑の影響で離陸が遅れ、更に強い向かい風ということで到着がそこそこ遅れるというアナウンスもありつつ、結構飛ばしたようで定刻からそんなに遅れることなく広島空港に到着。荷物を待つ間、白市行きのバスに待ってもらい、スカスカ(6人ぐらいしか乗ってない)の白市行きで夜道を白市へ。そろそろお腹すいてきたんだけど、コンビニでもあるかしらと思った白市駅は、まさかのマジで何もないという……。白市を舐めてましたね。
はてさて、ここでたどり着いたのは自宅ではなく実家、いわゆる帰省というヤツです。りんかい線の電光掲示によれば「家に帰るまでがコミケ」なので実家などで戦利品を展開することはなく、3日後には8kgの荷を背負っていよいよ家路につきます。
そう、青春18きっぷというヤツです。
まだ薄暗い西日本の午前7時ころ、状況開始。山陽本線に揺られて西に向かいます。糸崎で乗り換えののち、福山にて3本目の列車に。ここで、行く先の京都線内で車両故障による遅延情報を得ます。わずかな遅れが致命傷になりかねない18きっぷの旅で序盤から怪しい雲行きですが、まだ時間はあるので情報を眺めながらとりあえず前進。
三本目の終点の相生で乗り換えた姫路行きは、相生始発ではなかったようで、こういうあたりはやはり紙の時刻表のほうが計画立てやすいなぁとか思いましたが、果たして姫路についてみれば、新快速の野洲行きは遅延もなく、姫路からは2時間の行程。大阪、京都をさくさく通過し、人が乗ったり降りたりするのを横目に、ひたすら西へ西へ。野洲にて6本目の普通、米原行きに乗り換えです。天気予報では雨の予報とはなっていなかったですが、ここで空がどんよりとし始め、最終的には雨も降ってきます。
米原ではトイレも売店も混んでいて、意外と乗り換えターミナルとしての需要が大きい駅のようでした。7本目は米原から大垣へ。大垣からは、豊橋行きで名古屋をすっ飛ばして90分の行程です。豊橋では、乗り換え3分のところ、降りたホームから階段を上る人の波にもまれ、ぎりぎりの乗り継ぎで、9本目の浜松行きに。
そして、浜松の先が熱海まで150分という長大区間ですが、ここで時間再検索すると1本後の列車にしてもあまり変わらないことが判明したので、トイレと売店へ。1731発の熱海行きは、163分のロングライド。熱海にて11本目の東海道線に接続し、ようやく横浜へ。
こうして、長い長いC101の帰宅が終わりを迎えたのでした。
翌日は会社だよ!
C101前編(12/31会場)
改めまして、C101ありがとうございました。
12/31の帰りのりんかい線電光掲示板に「家に帰るまでがコミケです」とあったので、当日の様子から、自宅にたどり着くまでの4日間の記録をつけておきます。
今回は、「おとぎの国の安全保障概論2」ということで、白雪姫のお話を書きました。そして、初めて表紙イラストを外注、つまり個人サークルでありながら自分以外の誰かに依頼をして、描いて頂きました。本文は全く1ミリもアイマスには関係がないのですが、虹色ドリーマーの皆さんにモデルになって頂きまして、ただ、菜々さんはご都合が合わず代理のウサギさんに登場頂くという形となりましたが、比奈さんと奈緒さんに表紙を飾って頂くことと相成りました。
で、なんだかんだで、本が上がったのが、Twitterの記録によれば12/31の0442。ギリギリじゃないですか。自宅のプリンタでの印刷でしたが、途中、プリンタが謎のギブアップで止まってしまうというアクシデントもありましたので、そろそろコンビニ印刷かなぁ……。
さて、今回は、コミケ後に直接帰省することとなったので、帰省の荷物を背負って、さっそく土曜ダイヤのバス停へ向かったところ、なんと今日は休日ダイヤ! 土曜じゃなくて日曜扱いだったのです。知ってはいたのですよ、年末年始が休日ダイヤだということは……。なぜか、なぜかわからないのですが、当時の筆者の頭の中では、休日ダイヤ=土曜ダイヤだと勘違い。日曜ダイヤは始発が15分程度遅いので、大みそかの朝から無駄に待ちぼうけ。
そして、同行者に大井町集結時刻を伝えたにも関わらず、乗った電車で眠りこけて、京急の羽田空港線に突入したところで目が覚める始末。もうね、羽田空港線の羽田行きなんて、この季節満員なわけですよ。大荷物の人で。そんな中、こちらもそこそこの荷物を網棚に置いた状態で、降りるのもアレだったのでそのまま終点まで行って折り返しで時間ロス。
なんやなんやで、大井町で同伴入場者(表紙イラストを描いてくれた方です)と合流できまして、りんかい線で国際展示場へ。国際展示場の降車後の混雑を避けている間に同行者とはぐれたりしつつ、まぁチケットは渡していたので各個前進ということで、無事に現地到着して、0915に設営完了ツイートをしています。なお、この後、お客さんから見て見本誌を取りやすいように左右のレイアウトを入れ替えたりしてます。そういうことにも多少気が付くようになりました。
1149、恐れ多いことに、メロンブックスの営業さんが名刺を置いていって下さいました。メロンブックスって文章系同人誌も扱っているんでしょうか。漫画系だけだと思ってましたが、いずれにしても委託できるほどの内容も部数もないので、「お世話になれるように精進します」とお伝えしたところ。むしろいつも買う方でお世話になっております。
今回、開場後、お立ち寄りでお手にとって頂く方はそれなりにおいででしたが、なかなかお求め頂くまでには至らずでした。
それでも、1219、1224に連続で、見本誌見ることなく「新刊下さい」と言って頂ける方が現れています。これって、「初めから新刊狙ってサークルに向かう」というスタイルの買い方ですよね? 自意識過剰かもしれませんが、勝手にそう思うことにします。本当にありがたいことです。また、1321、1400にも1冊ずつ出て、今回は都合4冊の頒布となりました。お求め頂いた方に少しでも楽しめて頂けていれば幸いです。本当にありがとうございました。
ところで、今回もそうでしたし、前回やその前とかもそうなのですが、今のシリーズがおとぎ話であることから、少しそういうお話をされる方もおられます。元ネタになっているおとぎ話(今回であれば白雪姫)の、どのバージョンなのか、とか、さらに言うと白雪姫そのものに元ネタとされる史実があり、そこまで踏み込むこともありました。筆者が不勉強であるために、そうした話題で掘り下げることができなかったのは反省点ですね。表面をなぞるだけでなく、もっと深くまで知っておきたい。そう思わせてくれるのも、コミケのような対面頒布の愉しいところですね。だいぶ前には、ゲーム理論の話ですか?と問われたこともありましたね……。ゲーム理論って何だっけ。名前しか分からん……。
なお、今回、C100の赤ずきんほど出が悪かった原因として、前回は机で呼び込みをしてくれていた茄子さん(アクスタ)がいない、というのを要因分析として出していましたが、全く関係ないと思うので、筆者は次に向けてとにかく中身を充実させることに全力を注ぐべきだと思いますよ、私は。
そして、今回、スペースの中から見つけたコスプレについては、お二方ほどをツイートで言及していました。
1つは、「ありすのアリス!?」という謎の言葉ですが、たぶん、橘ありすが不思議の国のアリスのコスプレをしているコスプレ、ということなんだと思うのですが、当時、何をもってそう思ったのかよく分かりません。アリスはともかく、何でそれが橘ありすだと分かったんだろう。もう一回見てみたいものです。
もう1つは、ヨルさんの昼の仕事着、ということであれですね、緑の公務員(でしたっけ?)の制服のヤツです。ヨルさんのコスプレで昼の仕事着っていうのは結構レアなのでは、ということで目に留まったんでしょうね。
そんな感じで、今回も1600まで、目いっぱい楽しませて頂きました!
改めて、スペースに足をお運び下さった皆様、新刊をお手に取って下さった皆様、お買い上げ頂いた皆様、本当にありがとうございました。
皆々様にとって、良いコミケでありましたことを、お慶び申し上げます。
後編に続く!
雑に読む百人一首 #37
37番 文屋朝康
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬき留めぬ 玉ぞ散りける
お名前は、ブンヤ……ではないでしょうから、ふみやあさやす様でよろしいのでしょうか。ご職業はライターですかね?
白露、というのは、駆逐艦……ではなくて、葉っぱとかについている雨粒のことですよね。秋の野原、ちょっと強めの風が吹き去って、葉に宿っていた白露がぱあっと玉になって散る情景を歌っているものと読みました!
さー、今回は大体合ってましたよー。
つらぬき留めぬ、っていうのが何か分かりませんでしたが、「つらぬき留めぬ玉」で、通常であれば「つらぬき留め」られている「玉」、つまり真珠がいくつも連なったアクセサリに見立てて、それが「留めぬ」なのでちゃんと結ばれてなくてぱあっと散らばってしまった様子を表している、とのこと。
白露が、真珠のように玉になって散る、ということで、玉が二つの意味を持っているんですね。
やはり百人一首に数えられるだけあって単純ではなかった……。
詠っている方は、ふんやあさやす、と読むようで、22番のご子息だとか。
22番ってどんな歌でしたっけ。
おぉ……、こちらも秋で風で、でもちょっと趣が違いますね。
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読書感想文
サークル:神戸暗黒通信団
書名:ヤードポンド法の良いところ
著者:もる
入手:C100
ヤードポンド法と言えば、SI単位系を無視した中途半端な数字を1単位とするということでお馴染みのアレで、ヤードはゴルフ業界の方ならピンと来たりするのかもしれないが、えーっと1mに満たないぐらいでしたっけ? 100だか200だか集まるとマイルになるんでしたっけ? 陸上マイルと海上マイルで違うんでしたっけ? いい加減にしてください。
ポンド? イギリスの通貨でしたっけか。お肉の重さだってグラムだよ!
ということで、筆者に至っては「そういう単位系あるよね、知らんけど」ぐらいの感覚でしか知り得ないアレの良いところを考察した本です。
表紙と裏表紙込みで4ページからなるこの本は、つまり中綴じすら必要のない、A4を半分に折ったA5サイズの一枚紙なので、これはコミケ的には本ではなくてチラシに相当するのでしょうか、だから奥付もないのでしょうか、よく分かりませんが、まぁコミケの定義で本に相当するかしないかはともかくとして、目を見張るべきはその内容でしょう。
先に述べたように、一般的な社会生活を送るに過ぎない筆者のような手合いにとって、あぁそんな単位系あるよねという程度にしか存在を認知されていない(我が国においては、であるが)ヤードポンド法について、その良いところをかなり深く考え抜かれた内容と言えるだろう。
表紙と裏表紙を除いて、実質、見開きの左右2ページ分をまるまるいっぱいに使って表現された「良いところ」は、なるほど確かにそういうこともあるかもしれない、いや、それこそ正しくヤードポンド法の良いところを表していると唸らざるを得ない。いっそのこと夏休みの自由研究として提出することも辞さない覚悟とさえ思えたが、しかし他人の著書をそのままパクったのでは自由研究とは言えまい、ゆえにそれは却下であろうし、果たしてこの表現法が万人に受け入れられるものか、いささか疑義をはさむ余地がないともいえない。
しかしながら、間違いなく、考察に考察を重ねた結果として示された、この「良いところ」は、自然科学を志す多くの人々によって大いなる賞賛とともに迎え入れられるべきものであろうと確信する。……欧米の自然学者にとってはどうなのかさっぱり知らないけれど。
なお、この感想文そのものが、どうにも各段落で似たようなことを言っているばかりで、さっぱり中身がないような気がしないでもないのは、もしかすると本書の影響をいかばかりか受けていないとも言えなくもないことを付記するものである。
ところで、「神戸」って何?
百人一首 #36
36番 清原深養父
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
えー、実に4か月ぶりの更新です。本当に続かない人ですね、まったく。
さて、先ず詠み人の読み方が分かりません。清原深の養父なのか、清原深養の父なのか、清原深養父で名前なのか……。
ですが、歌の方は分かりやすいですね。情景もすぐに思い浮かびます。
夏の夜は朝が早いので、宵の頃でありながら、もう明け方のように明るい……って、いや、雲の中に月が隠れてるでしょ。みたいな感じですかね。
って。
簡単とか言っておきながら違ってましたねー……。
宵の頃なのにもう明るい、で普通に解釈して良かったみたいです。そしてそして、宵というのも夜中ぐらいだと思っていたら、夜になったばかりの頃合いとのこと。まだ宵の口だと思ってたらもう明け方だよ、みたいな意味に読むようです。
夜が明けるのが早すぎて、月だってまだ沈んでないだろう、雲のどこぞに宿を取っているのかしらん、と続くんですね。
うーん……、なんか、平安貴族の方々、夜更かし組多くないですか?
ちなみに、深養父は、「ふかやぶ」と読んで、そのまま一人の名前でした。そりゃ、「誰かの父」としか名前も残ってないような人が歌人として選ばれないよね……。
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百人一首 #35
35番 紀貫之
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
有名人ですね!
確か、ナントカ日記っていう、今でいうネカマの走りみたいなことした方だったかと思いますが、この歌もなんだか聞き覚えがあるような気がします。
が、「いさ」がよく分かりませんね。
出て行った人がどのように思っているのか、その心情を故郷は知る由もなく、ただ花の香りは昔と同じように変わらず香っているのだろうか。
とか、そんな感じで故郷を偲ぶ歌、でしょうか。
えー、はい、違いましたねー。
「人」っていうのは、ここでは二人称で、目の前にいる相手を指しているようです。
「いさ~ず」で、「さて、~~ではない」みたいな感じで、「人はいさ心も知らず」で「さぁて、あなたの心情も私にはよく分かりませんけど」となるようです。
百人一首は、それぞれ歌の前に歌の背景が書かれているようで、そこと合わせて意味が分かってくる形になっていますね。
ある宿で、宿の主人に「昔と変わってないでしょう、ここは。あなたもかつてはよくおいで下さっていたが……、今はいかがですか」とかなんとか言われたのに対して、「はは……ご主人、あなただって私のことなど果たしてどう覚えておられたやら……ま、確かに、花の美しさは昔と何も変わらないようですがね」なーんて返した歌ということだそうですね。
なんですかね、このギスギス感……。
お互いににこやかに嫌味を言い合っているような……。
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百人一首 #34
34番 藤原興風
誰をかも しる人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに
ううん……これはびっくりするくらい意味が読み取れないですね。
高砂の松の様子が、旧友の誰だかに似ているような……とかそういう感じでしょうか?
え? 松が? そんな話がありますかね……
解説によれば、「どいつもこいつも死んでしまって、もう誰を親友と呼ぼうかなぁ。高砂の松だって、旧友というわけでもないし」ということなんですが、なんで松……。
長寿の象徴である松、つまり自分が子供の頃からずっとあるような松でさえ、友ではないというのに、命短い人間たるや、今となっては親友と呼べるようなのは一体誰が残っているだろうなぁ。
みたいな感じのようですね。
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